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伊藤忠食品のあゆみ

伊藤忠食品130年のあゆみ
当社は企業理念に「常に時代の変化と要請を先取りし、健康で豊かな食生活創りを通じて、消費者と社会に貢献する」を掲げ、日本の食と共に歩んでまいりました。

1870〜1880年代

〜生薬商から酒類食品卸売業へ

1872年〜

国内で初めて罐詰が作られる

1875年

〜鈴木洋酒店の創業〜

鈴木洋酒店の創業者鈴木恒吉は27歳の時に家族とともに宇都宮から横浜に移転し外国商館に勤めました。そこで洋酒の将来性に目をつけ1875(明治8)年東京の日本橋本町に洋酒販売の三恒商店(のちの鈴木洋酒店)を創業しました。後に薬種店が多く集まる本町三丁目に移転しますが、その際にお世話になった老舗薬種問屋の「いわしや総本店」の屋号のドンブリ(丼)のイゲタに恒吉のツを入れ、屋号を「ドンツ」としました。

1886年

〜松下善四郎商店の創業〜

初代善四郎は1804(文化元)年、能登国羽咋郡に誕生。ほどなく大阪に出て舟町槁で米商・両替商を営む加島屋作五郎方に奉公し、後に独立し櫂屋町で米商を始めます。やがて二代目善四郎の時代に米商から生薬商に移行し、漢方薬や洋酒などの舶来品を扱いました。そして1886(明治19)年、武田長兵衛商店(現、武田薬品工業)より洋酒食料品部門を譲受け、大阪高麗橋に松下善四郎商店として創業しました。

1900年代

名古屋乾物(メイカン)の誕生

1925年

マヨネーズ発売

1934年〜

名古屋乾物(メイカン)の誕生

時代は大正末期から昭和初期。人口が急増し産業都市に発展した名古屋では、食料品業界も急拡大しました。
同時に準戦時体制の色濃くなる中、名古屋水産市場では市場の活性化の為にも乾物問屋同士が手を取り合い、規模の拡大を目指そうという機運が高まりました。そこで周囲の期待を受け立ち上がった地元の老舗乾物問屋4社が話し合いを重ねた結果、1934年に名古屋乾物株式会社が誕生。乾物、海苔椎茸、缶詰瓶詰と取扱商品別の3営業部で事業を開始しました。
発起人8名のうちのひとり、森川弥兵衛が社長に就任、丸の中に「名乾」の2文字を配した屋号を掲げました。
干瓢、寒天、海苔などの乾物の他、缶詰や瓶詰の取扱にも力を入れ、「白玉ソース」や「メタル印のカレーの友」などオリジナル商品も輩出しました。

1951年

電子レンジ発売

1950年後半

電気冷蔵庫が普及

1965年〜

冷凍食品が普及

1969年〜

国内でレトルトパウチが登場

1970年代

松下鈴木の誕生

1971年〜

松下鈴木の誕生

昭和30年代後半、国民所得の増大を背景に生活水準が向上し、大量生産・大量消費時代を迎え、各地でスーパーマーケットが拡大を始めました。
松下鈴木では、急成長する組織小売業の規模拡大に対応すべく、それまで酒販店や地方卸が中心であった松下商店・鈴木洋酒店は、大きな変革の時を迎え「全国卸となって、全国的に機能を提供する」為に、1971(昭和46)年、松下商店と鈴木洋酒店が合併し、松下鈴木鰍ェ誕生しました。
当社は、支店・倉庫を全国で整備し、広域化する組織小売業の要請に応えました。

1971年

缶ビール発売

1980年代

伊藤忠商事との資本業務提携

1982年〜

伊藤忠商事との資本業務提携

高度経済成長が終わり、日本経済は安定成長期に移行しました。
組織小売業の拡大に伴い、POS・EOSの普及などの情報化が進む中、松下鈴木も新たな情報システムの導入によって経営体質の改善と近代化への革新が必要となり、グローバルな情報力と信用力を持った伊藤忠商事と資本業務提携しました。
以降は、新日本流通サービスの設立による物流の別会社化、営業基本システム「MACS」や会計基本システム「PROMOTE」導入など、情報システム・物流・採算管理などを強化し、営業および管理機能の強化を図りました。

1990年代

伊藤忠食品の誕生

1996年〜

伊藤忠食品の誕生

1996(平成8)年10月1日、伊藤忠商事グループのメイカンと松下鈴木が合併し、伊藤忠食品が誕生しました。
合併による営業基盤の強化及びメイカンの惣菜・冷凍分野と松下鈴木の酒類・ギフト分野のノウハウの共有により、売上拡大を目指しました。

2000年代

東証一部上場

2001年〜

東証一部上場

2001(平成13)年、東京証券取引所第一部上場を果たしました。
上場による、企業の価値を高めることだけでなく、「社員の意識が変わること、そして誇りを持てる会社に」を実現も目指した上場でした。

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